
公開日 2019/6/22 125分
三度目とは死刑判決のことだろう。
とはいえ、様々な解釈があって当然であり、特に本作のように説明の薄い作品では尚更だろう。
なので個人的な解釈を述べるに留まるのだが。
実行犯は役所広司。 これはオープニングシーンであり、動かないと思う。
但し、供述通りの方法で被害者を呼び出せるのかなどの疑問は残ることや、雪に横たわる二人の十字架の映像からも広瀬すずにも罪があるのは明らかと思う。
面会当初の役所広司には「認知症か?」と思うほど腑抜けた印象を受ける。
これは一度目の殺人後と同様らしく、「空になった器」なのだろう。
そして今回、この器に殺意を満たしたのが広瀬すずということになる。
彼女の足の謂れについては、嘘のない彼女の言い分が正しいと思われる。
ならば彼女が屋根から飛び降りた理由の説明はないものの、彼女の不幸は生まれついたものではないこと、つまりはレイプに絡むことを示唆しているのだろう。
ただ、モノトーン基調の画面の中の赤いコートが『シンドラーのリスト』の暗喩とするなら、いい暗喩とは思えない。
ただ、逃がされた一羽のカナリアは彼女なのだろう。
他人の思いを知ることができ、裁きを受けまた実行するという一線を超えることができる役所広司は、特殊な能力があると言える。
これを否定するには、福山雅治の娘の知識は吉田鋼太郎から得たものとなり、吉田は福山に嘘をついていることになる。
とすれば吉田も罪に加わっていることになるのだが、吉田に罪がある表現は見て取れず、そこまでは考え辛い。
面会時のアクリル板を挟んでせめぎ合い、立場が逆転する構図を見せる映像など興味深い映像は見られる。
また、練られた構成は、戦略でのみ弁護方針を立てる弁護士を契機として、裁判官、検察側、弁護側が、法廷の裏側で目配せして方針を決定するシーンに至るまで、「司法という船」のおぞましい側面、取り返しのつかない死刑という刑罰という社会問題の提起、裁くのは誰かという哲学的、人は生まれながらに選別されているという神学的な問題まで孕んでいる。
裁かれない者(広瀬の父、母)を裁いた者(役所、広瀬)と、裁いた者を裁く者(福山)、ラストに十字(路)にから空を見上げることで、福山もまた罪を背負ったことを表している。
少なくとも、福山、広瀬には役所を救う手立てがあったのだ。
二人の背負った罪も知りながら訳知り顔で終わらせる、特殊な能力も含めて、自分の運命に対する何の訴えもないままの役所広司には納得がいかない。
殺したのが、役所であれ、広瀬であれ、だ。 ヒューマニズムでもないと思う。
この観客への提起の仕方が、個人的に肌に合わなかった。
おそらく一部の観客に受け取られている「俺、凄いでしょ」的な作家の印象はこのようなものだと思われる。
家庭内暴力(レイプ)に苦しむ広瀬を役所が助けた、で大枠は外れていない、だろうし、誰が本当のことを言ってるか判らない「是枝版羅生門」という評価は当たってはいないと思う。
是枝作品として括らずとも、これまでと同様に、よく出来ているとは思うが、次作を観たいと思わせる作品ではなかった。
尚、「被告が罪と向き合う」という台詞について、実際の裁判は嘘をつくのは前提らしく、戦略ありきも否定できるものではないらしい。
また、実際に地方裁判所でも死刑判決には主文後回しになる場合はあるらしい。
原題 三度目の殺人
製作国 日本